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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)6425号 判決

愛知県名古屋市昭和区楽園町七八番地 中電アパート二号

原告 篠沢サカエ

右訴訟代理人弁護士 笠島永之助

東京都目黒区自由ヶ丘二五七番地

被告 本多薫治郎

右訴訟代理人弁護士 小林賢治

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対して東京都目黒区自由ヶ丘二五七番の三所在家屋番号一二一二番本造瓦葺平家建居宅一棟建坪一五坪二合五勺(以下「本件建物」と称す)を明渡せ。訴訟費用は被告の負担とする」との判決及び仮執行の宣言を求め、請求原因として本件建物は原告の所有に属するにかかわらず、被告は何らの権限なくこれに居住しているから、これが明渡を求めると述べ、

被告の抗弁に対し「被告の抗弁事実中原告が訴外二村邦夫との間で本件建物につき被告主張の賃貸借契約を締結したこと及び訴外二村が被告に対し本件建物を転貸したことは認めるが、右転貸借の時期は不知、その他の事実は否認する。しかも昭和三一年八月二四日原告は訴外二村に対し、右転貸借が原告の承諾を得なかつたことを理由に本件建物につき原告と訴外二村との間で締結された賃貸借契約を解除する旨の文書を発送し、右文書は翌二五日同人に到着した。よつて右賃貸借契約は右文書の到達と同時に解除されたのであり、被告は本件建物に居住する権限はないのである。

仮に本件建物の転貸借が賃貸借契約の解除事由にならないとしても、本件建物は原告の所有に属する唯一の建物であり、中部電力株式会社に勤務する原告の夫が近々停年で退職し、本件建物に居住しなければならない立場にあり、また原告の娘も近いうちに婚姻するため、東京に在住しているが、本件建物につき被告及びその家族が居住しているため入居できない状態で間借生活をしている。もつとも原告の夫は現在退職してはいないが、その実現は間近でありその際被告は到底明渡を肯じないことは明白な事情にある。以上のような理由で原告が本件建物を使用するに必要な正当事由があるから、原告は前記解除と同一文書により訴外二村に対し併せて解約の申入をなし、同日転借人である被告に対してもこの旨を通知する趣旨で明渡を求める文書を発送し、翌日同人に送達された。よつて原告と右訴外者間の賃貸借は法定期間の経過により終了し、被告に対し右終了を対抗しうる。

仮に原被告間に賃貸借関係が成立したとしても本件訴状により右正当事由によつて原被告間の賃貸借契約の解約の申入れをなし、本件訴状の被告に対する送達により解約の申入れがなされたこととなる。

また仮に本件訴状が解約の申入れとならないとすれば、昭和三三年四月三〇日付準備書面の陳述をもつて右正当事由による解約の申入れとなし、同日より法定期間の経過せる昭和三三年一一月一日に原被告間の賃貸借契約は終了した。

以上いずれの事由を以つてしても、被告の本件建物の居住は不法占有であるから、原告は被告に対しこれが明渡を求めるものである。

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する」との判決を求め答弁及び抗弁として「本件建物が原告の所有に属すること及び被告が現在本件建物に居住していることは認めるが、昭和一二年三月頃原告と訴外二村邦夫との間で本件建物につき、期限の定なく、賃料月二四円とする賃貸借契約が締結されたもので、その後賃料は値上されたが、右二村は本件建物を従前より同居していた義理の父親である被告に転貸し、右建物より転出したものである。原告は以上の事情を知りながら、転貸借につき異議を唱えることもなく、更に本件賃貸料受領証の宛名を被告名に書換え、これに領収印を押捺して被告より賃料を受領して来たもので、これは原告が右転貸借を承諾したからであり、仮にそうでなくとも、直接原被告間に前同一条件を以て賃貸借関係の成立を認めたものと言える。

よつて被告の本件建物の占有は、原告の承諾を得た転貸借もしくは原被告間の賃貸借によるもので正当である。」

更に原告訴訟代理人の解約の申入れの主張に対し、「原告の夫が中部電力株式会社名古屋本社に勤務し、原被告間に養女の一人あることは認めるが、その他の点は否認する。原告は現在五三歳で、停年が五五歳であるから退職の時期は早くとも昭和三六年七月一一日であり、停年後といえども、当分の間社宅の使用は認められる筈であり、家族も僅か三人で、今直ちに本件建物を使用する必要がないのに反して被告は六一歳の老年で目下病気療養中であり、五人家族で他へ転居するに十分な資力がなく、只今本件建物を明渡せば直に生活に困窮する状態にある。従つて原告主張の解約申入れの事由は失当である。」

証拠として≪中略≫と述べた。

理由

昭和一二年三月頃原告と訴外二村との間で本件建物につき原告主張のとおりの賃貸借契約が締結されたこと並に右二村と被告との間で本件建物につき転貸借のなされたことについてはいずれも当事者間に争いがない。

先ず右転貸に対する原告の承諾の有無を検討すれば成立に争いのない甲第四、第七号証、乙第一号証、第二号証の一ないし五、証人本多むるの証言により真正に成立したと認められる乙第四号証、同証人並に同二村邦夫、篠沢信の各証言、原告本人尋問の結果を綜合すれば(ただし、後記認定に牴触する部分を除く)戸籍面のいかんにかかわらず、二村邦夫は現在被告の妻である本多むるとその前夫鈴木寅之助との間に生れた子で、右むるが寅之助と離婚し、実家の二村家に帰り、右邦夫を二村家の養子にしたもので本件賃貸借当時右邦夫は中学生であつたが、右むるが右邦夫を代理し原告との間に本件賃貸借契約を締結したこと、当時被告とむるとは事実上の婚姻関係にあつたが被告が職務上大阪に転任した後は、右むるは邦夫並にその実弟寿夫の三人でここに居住した後被告は大阪より帰京し爾後今日まで二〇余年間本件家屋に居住していること、当初は右邦夫名義を以て賃料の支払をしていたが、右むるは少くとも昭和二二年頃からは原告の差配である訴外渡辺稲作に対し、この事情を話し賃借人名義を被告に変更して貰つたこと、そして原告自身も昭和二七年一月二五日同年一月分を受領して被告名義宛の領収証中にその旨記載捺印し、また昭和三一年度も二回、原告自ら賃料を領収し被告名義宛の受領証に捺印したことを認めることができる。もつとも原告本人は賃料領収証の名義が被告に変更されていたことは全く知らなかつたと陳述しているが同人の他の陳述によれば昭和十五年頃より被告名義の標札が本件家屋に掲げてあつたため、原告は前記むるに対し被告等の立退方を請求したことのある事実があるので、かような点から考えても特段の事情のない限り原告が受領証が被告名義に変更されたことを知らずに領収印を押捺したとの点は信用し得ない。以上の認定に反する証人渡辺稲作、篠沢信の各証言は採用せず他に右認定を覆えすに足る証拠はない。してみると訴外二村の本件転貸が原告の承認を得ずになされたものとしても、それぞれ被告名義宛の賃料受領証に原告自ら領収の旨を記入或は領収印の捺印をしている事実からすれば、これらの時に少くとも原告において右転貸の黙示の承認があつたものと言うべく、更に前記認定の様な契約成立事情、領収証名義の書替などの事情を参酌すれば、むしろ原被告間に改めて賃貸借契約が成立したものと認定してもあながちおかしいとは言えない。

次に原告主張の正当事由の存否を検討するに、原告の夫が現在中部電力株式会社名古屋本社に勤務しており、年令が五三歳で原告夫婦間に養女が一人あることについては当事者間に争いがなく、証人篠沢信、稲田正俊の各証言及び原告本人尋問の結果並に成立に争いのない乙第六号証によれば原告の夫が停年間近いこと、停年退職後は東京で生活する予定であること並に婚期にある養女が現在間借生活をしていることは認められるが、右会社の停年が何歳であるか、或は何時退職するかの点については全証拠に徴しても明かでなく、少くとも既に退職し社宅の明渡を迫られている状態でないことは、証人篠沢信の証言でも明かである。これに対し証人本多むる、同二村邦夫の各証言及び成立に争いのない甲第七号証によれば賃借人である右二村は他に転住しているが、被告は妻の外一男三女の五人家族を抱え、被告自身及び長女の両名は病気療養中で働けず、長男次女の月収合せても二万三〇〇〇円程度で一家の生活は楽でなく他に転居するだけの経済的余裕のないことが認定できる。以上の事情を考慮すれば被告の本件建物を必要とする程度は原告に比べて著しく高いものであると認める。

しかして正当な転借人のある場合に解約の申入により賃貸借が終了すべきときは転借人に対し、その旨の通知をすればその終了を以て転借人にも対抗し得ることは借家法第四条の規定するところであるが、この場合の賃貸借を解約するに足りる正当事由の有無の判断は単に賃貸人と賃借人との間の当該家屋に対する必要程度を衡量するだけでは足らず、転借人の事情をも合わせて考慮する必要があるものと解する、すなわち転貸借があるときは多くは転借人が目的物件を現実に使用収益し、賃借人はその使用関係のらち外にあり、従つて賃貸人と賃借人の使用必要度の比較をするときは、賃借人においてより低しとされるのが必然ともいえよう(このことは賃借権の譲渡の場合を考えると一層明白である。)してみると転借人の当該家屋に対する使用権は賃貸人の賃借人に対する解約申入だけで実質上消滅する結果となるに近く、借家法第一条の二が解約申入に正当事由の要件を加えたゆえんのものは、現に家屋を正当に使用する者の住生活の生存権を保護せんとする目的に出たものというならば、正当な転借人の地位を全く無視することは許されない。もとより転借権は賃借権に依存する権利ではあるが、例えば賃貸人と賃借人の合意を以て賃貸借契約を解除してもその解除は転借人に対抗し得ないとする解釈の行われるゆんを考える必要があろう。

今本件を見るに、前認定のように転借人が建物を現実に使用し、賃借人がこの建物より出てこれが使用を全くなしていない場合においては、賃借人二村の本件賃貸借解約による損害は、単に転借人たる近親者が家を追われることに対する精神的苦痛の程度であるかもしれない。しかし転借人たる被告の本件家屋に対する必要程度は賃貸人のそれに比してより重しとすることは前段認定の通りである。

以上の理由により当裁判所は原告の訴外二村に対する本件賃貸借解約の申入は正当の事由のないものとして無効と判断した。もし本件賃貸借が原告と被告との間に成立したものとして被告に対する解約の申入れとしてみても、これに正当事由のないことは前記認定により一層明かであるといえる。

よつて原告の本訴請求を失当と認め棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 柳川真佐夫)

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